20数年前の中学受験時代を振り返るシリーズ、日常生活①はこちら。
子どもに暗記させる、ということ
色々な受験勉強のスタイルがあるだろうが、我が家の場合、母親が、勉強のカリキュラムを完全に決めていた。いわゆるマイクロマネジメントだ。自由を重んじる小学生である私は、それが辛かった。
毎日学校から帰ると、今日は何の勉強をするかを母親が指示をする。例えば、教科書の何ページから何ページまで覚える。問題集のここからここまで解く。といった具合である。当然、終わるまで眠れない。でも、終わる量ではない。
教科書を「覚える」という課題の場合は、30分とか1時間、覚える時間をもらったあと、「覚えた」と私が母親に申告する。すると母親が教科書のその部分から、ランダムに質問を出す。私が即答できないと、
「なんで覚えてないんだよ!」
と言う怒号とともに、蹴りや、平手や、教科書が飛んでくる、という調子である。
しかし、なんでと言われても、人間はそんなに短時間に大量のものを覚えられないのだ。特に、母親が勉強していたちゃぶ台の向かい側で睨んでいる状況で、どこを聞かれるかもわからないから、教科書の隅から隅まで覚えるのは、蛇にみつめられて固まってしまったカエルに、盆踊りを踊らせるようなものだった。
魔法の暗記ノート
母親は、何度蹴っても、殴っても、引っ掻いても、覚えられない私に業を煮やし、自分で「暗記ノート」なるものを作り始める。教科書が覚えられないんだったら、覚える要点をまとめたノートをつくればいいじゃないか、ということだ。
そして母親はせっせと手を動かし、教科書を見ながら、覚えるべき箇所をノートにまとめて、私に手渡す。そのノートも母親が見つけてきた、特別な「トレーシングペーパーノート」なのだ。ページの間にトレーシングペーパーが挟まっており、ページの上にかぶせて自由に追記できる。
母親は、そのトレーシングペーパーで、覚えるべき場所を黒塗りにして私に渡す。私は、その黒塗りの部分を覚えればいい、というわけだ。さあ、ここまでしたのだから覚えるでしょう!
このトレーシングペーパーノートは、勉強ツールとしてすぐれものである。それは認める。ただポイントは、「ノートを作るのは母親である」という点である。親が作ったノートの内容を覚えているのは、親であって、子供はその作業に一切関与してないのだから、覚えるはずがない。教科書だろうが親が作ったノートであろうが、与えられてひたすら覚えるのは苦痛だし、時間がかかる。
母親だけが、ひたすら日本史に詳しくなる。北条時宗が何をしたか、安土桃山時代に花開いた狩野派の絵師、狩野永徳の作画は何か、ばっちり覚えている専業主婦は多くないだろう。この努力ができる親はすごい。
でも、悲しいかな、子どもはそれでも覚えられないのだ。それがわかると母親は爆発し、また蹴飛ばす、殴る、ひっかくの騒ぎである。挙句の果てに母親は、私の手を取り、
「狩野永徳は唐獅子図屏風だよ!」
と怒鳴りながら、ボールペンで、覚えることを手のひらに力いっぱい書いていく。あまりに筆圧が強いので、手の皮が破れて血が出てくる。そんなことの繰り返しの毎日だった。
(続く)