褒めない親だった。父は常に不在だったし、母は、褒めたら子供が勘違いしてつけあがるという理由で、褒めない方針をとっていた。テストで100点を取っても褒めないが、90点をとると残りの10点を落としたことを責めるというような、よくある家庭だった。
小学校低学年の頃、何かの授業で母親の似顔絵を描き、吹き出しのセリフをつけて母親に渡しましょうと言う制作をしたことがあった。何を思ったのか、私は母親のセリフとして「やればできるじゃないの」と書いて、母親に渡した。自分としては、母からそのようなセリフを言ってほしくて、甘えているつもりだった。その制作物を一瞥した母親は、苦々しく、「なーにが『やればできる』だ」と吐き捨てた。虫の居所が悪かったのかもしれないが(母は常に虫の居所が悪かった)、心底憎々しげなその声音に、私はまた自分が、ひどく間違えたことをしたらしい、と悟った。間違えたこと、それは自分が母の愛を求めようとした事だった。
小学校高学年からは、中学受験の準備を始め、母から毎日のように蹴られたりひっかかれたりする生活になるが、それはすでにこのブログで書いたので割愛する。
だけど、中学受験をする前までも、何かにつけて、母に暴力や暴言を受けていた。母のやり方は、怒鳴る、頭を叩く、顔をひっかく、足で蹴飛ばすなどをしながら、何かのことで責め立てて説教する。それで済むこともあれば、腕を掴んで私を玄関から外に引きずり出してドアを閉めることもあった。
子供ながらに、毎日が大変だと思った。小さい頃はひたすら今日が早く終わって夜が来てくれればいいと思った。1日ごとに生きていた感じだった。小学校に上がって、少し思考力がついてくると、母からのそうした嵐に遭うたびに、「何が悪かったのか?」と自問自答するようになった。そして、自宅団地の下にあるお気に入りの木の下に行って「今日は〇〇が悪かったらしい。その教訓だけを覚えておいて、この木の下から離れたら、今日の事は忘れてしまおう。覚えている意味がないから」と自分に言い聞かせた。そして本当に、私はほとんどの母から受けた暴力、暴言を具体的には忘れてしまった。
私が並外れて育てにくく、悪いことをする子供だったのか、とも思った。昔は、自分がこんな目にあうのは、ひたすら自分が悪いからだと思っていた。だが、子供を育ててみて、どんな子供であっても、親はそのような態度をとってはならないと思うし、私はそんなに困難を抱えた子供ではなかったように思う。育てにくかったなら、それこそ親のそのような態度が引き起こしたのだ、それこそ親の育て方が悪かったと言いたい。
自分の幼少期の写真がないかと実家でアルバムを探したときに、自分の笑顔の写真が思いのほかあることにびっくりした。自分としては、全くいい思い出がなかったので。
何か、親の良い面も思い出せないだろうか。
良い思い出
私が小学校を転校してすぐに、いじめの対象になった。子供同士のいじめだったので、大した事はなかったが、母に、今日は学校に行きたくない、いじめられているからと言った。そうすると、母は私をいじめている相手の家に突撃し、相手を叱ったらしい。いじめた相手が血相を変えて我が家に来て、私に謝った。さぞかし怒った母は怖かっただろう。
父と週末に、公園でバトミントンをして遊んだ。父は、小さい頃、私の爪を切ってくれた。また週末は私たち子どもをお風呂に入れるのは、父の役目だった。
私は、幼い頃から暗算が得意で、計算が早かったので、夕食のときなど、機嫌が良い時に、両親は私に計算の問題を出した。315 +252 は?などと言われて、私は食べながら暗算して答えを出すと、両親は筆算でそれを確かめて、当たり!と言ってくれた。
教育には、昔から熱心な親だった。学研をとっていて、そこについている理科の実験キットを私は楽しみにしていた。カブトガニを育てたり、リトマス試験紙で遊んだり。ラジオを作る、電卓を作るなどのキットが来た時は、私ではなく、父が夢中になって仕上げてしまった。
小さい頃から、私は星が好きだから、宇宙飛行士になると言っていた。半分は本当で、半分は理科が好きだといえば、両親が喜んでくれるかもしれないと思ってのことだった。そうすると、ある年のクリスマスに、両親が星座の話と言う本をプレゼントしてくれた。いつも、プレゼントとして文房具屋や、小学校に必要な学用品を選ぶ両親だったので、それは珍しかった。
解決できない想い
母からの暴力は中学校に入るまで、暴言は私が司法試験に合格するまで続いた。だから、私は親を恨んでよいのだと思ってきた。
親の育て方や、家庭での思い出は、辛いものが圧倒的に多かったが、同時に私は、その親から授けられた教育の恩恵を受けている。
中学受験をして名門女子校にいき、東大に行き、司法試験に合格する。そのルートに乗せたのが親の功績だとしたら、私はそのルートの延長線上で今も生きて、糊口を凌いでいるのだ。
親を半分で恨みながら、もう半分で利益だけを享受することができるんだろうかと思ったりする。自分が親になると、子育ての大変さもわかる。教育費をかけることの痛さもわかる。いいこともあった、一生懸命育ててくれたと言う想いと、それでもあの母の態度は病的であったし度を超えていた、それについて、私は譲らなくていいと言う気持ちがごちゃまぜになって、絡まり合って、身動き取れなくなっている。
ただ、私の目的は、自分の矛盾を解決したり、理解することではなくて、自分が少しでも生きやすくすること、そして自分の子どもに、私が受けてきた養育経験を繰り返さないこと。
どうしたらいいのかな。