こちらの本を読みました。「中学受験のプロが」なので、「頭が良くなる子に育てるために」という詰め込み教育のためのハウツー本かなと思ったら、思いのほか刺さりました。
乳児はしっかり肌を離すな
幼児は肌を離せ 手を離すな
少年は手を離せ 目を離すな
青年は目を離せ 心を離すな
緒方先生による「子育て四訓」
とか、
見守るとは、子供の成長に合わせて距離感を選びなおすこと
小川大介著 頭の良い子の親がやっている「見守る」子育て 41頁
とかも刺さりましたが、一番痛感したのは以下の部分です。
頭が良いという定義が変わる。昔は、豊富な知識量で、処理速度を速く問題が解ける人が頭が良かった。だがこれからは、「苦手なものもあるけど、だれにも負けないものを持っている」ことの方が大切。自分の強みを社会で発揮できる子が、頭が良いということになろう。
同書 27頁 (Miniko要約)
かく言う私も覚えがありました。数年前に会社の人事評価の基準が、「目標を決めて達成率を図る」という従来の方法から「自分の強みを発揮できたか」という指標に変わりました。自分にどこまでも自信がなかった私は、人事評価の質問で、当然「自分の強みを発揮できたか」にNOと回答。その後の上司との面談で、
自分の強みとか何かわからないし、、。そもそも、強みを発揮するより、自分の弱いところを補いたいと思います。
といいました。すると、そのできた上司は、
そうだね。でも弱いところを補って平均的な人になっても面白くないよ。あの人はこれが強いから、その分野の仕事を任せたいと思うでしょ?皆が、自分の強いところで貢献できた方が、組織として強くなるよ。
と言いました。その時は、なんのこっちゃ、と思っていたのですが、それから数年経って、今見てみると。Youtuberも、Tiktokも、Webも、一芸に秀でた人が活躍しています。その一芸とはなんでもいいのです。口笛をきれいに吹けるとか、ダンスができるとか、料理とか、話が上手とか、その人が本当に好きで秀でるものです。学歴とか肩書に関係ないのです。
私も何かやりたい、と思いました。でも、私に何ができるだろう。
今までの人生を、勉強して、知識をたくさん覚えて、問題を速く解くことに費やしてきました。かろうじて今法律家をやっているけど、私の知識量や経験はたかが知れている。知識は本で調べた方が速くて正確です。というより、私も本で調べている。経験は、新しい世界に飛び込めなくて、あまり増えていかない。
そんな職業を取り除くと、自分はどこまでも平凡で、何の特徴もない。
認めなければいけません、私は、古い教育を受けたのです。古い教育で作られた私は、今かろうじて社会に組み込まれているけど、その需要はだんだん少なくなっている。そして新しいニーズに対応できるよう進化できていないのです。
知識をつめこんで情報を処理する教育は、もうこれからの時代に通用しないものになった、と思いました。もちろん自然科学や社会科学など、理解すべきことは理解するべきだと思います。でも、受験勉強とか弁護士資格試験のように、何か知識やルールを単に覚えて、単に時間内に処理能力を鍛えて吐き出すようなものにエフォートをつぎ込むより、ほかにすべきことがあるのだろうと思います。
ワクワクするような世界になるとよいのにね。