韓国のそう先生と奥様
昔、可愛い犬のぬいぐるみを持っていた。名前をそうはちという。
大学で教えていた父の友人で、韓国人の「そう先生」から買ってもらったので、「そう先生」と忠犬ハチ公からとって、「そうはち」と名付けた。
大のお気に入りで、小さい頃はどこにでも連れて行った。ふさふさだった毛が縮れて、くるくるパーマのようになり、うす汚れて、ぬいぐるみの犬種が変ったようになっても、大切にしていた。
そうはちを買ってもらった時、韓国から来た「そう先生」は、奥様と2人で、我が家に1泊2日で泊まりに来てくれていた。その奥様が優しくて、当時5,6歳だった私の相手をずっとしてくれた。私は奥様が大好きになり、奥様にまるで親のように懐いた。
彼らが泊まった日の翌朝も、2人が起き出してゲストルームから出てくるのが待ちきれなくて、自分が朝起きたら一番に、先生と奥様がまだ寝ているゲストルームに、ベランダから忍び込もうとしたものである。
その時はちょうど、先生と奥様が起きて着替えているところだった。奥様はベランダから現れた人影を見て悲鳴を上げたが、それが子供の私だと気づくと、優しい笑顔を浮かべながら、部屋の窓をあけて、中へ招き入れてくれた。
たった1泊2日の出会いだったけど、幼少期の私に温かい優しさをくれた人たちだった。
食事のルール
そして月日は流れる。
「そう先生の奥様が、また日本にくるからお前に会いたいって。今度の土曜日、家にくるって」
そう母に言われたのは、中学受験の準備の真っ只中にある、小学5年生の頃であったと思う。私も奥様に会いたかったので、嬉しかった。でも、「受験戦争」只中の我が家にきて奥様がどう思うか、という不安もあった。
ところで、中学受験勉強のルールのひとつに、食事は教科書を持ってきて、教科書を見ながら食べること、というものがあった。
本を持たずに手ぶらで食卓に現れようものなら、
「食事の時間がもったいない。食べながら勉強するんだよ。教科書をもってこい!」
と言われる。
教科書を持ってきて、ページを眺めながらご飯を食べ、食事中1回や2回ページをめくる。実際、ご飯を食べながら教科書を読んでなどいないのだが、さも読んでます、というふりをして、目を伏せて食事をしていた。毎回、食事の時間は沈黙が支配していた。
再会
数年ぶりに先生の奥様が、日本に来て、わざわざ家まで会いに来てくれた。
母は、自分が応接間で奥様の相手をするから、私は部屋で勉強しているように、と言った。「時間がもったいない。そんなことをしている場合ではない」
母が私を呼びに来たのは、夕食の時間だった。私はいつもどおりに教科書を持って食卓にいき、そこで初めて、先生の奥様に挨拶をした。
奥様は懐かしい、優しい笑みを浮かべて私をハグし、色々と話しかけようとした。私はぎこちなく笑い、奥様の腕からするりとぬけると食事の席に付き、教科書を広げた。そして教科書のページに目を落とし、箸をとって食事を始めた。
いつもの通り。
奥様は目を丸くして、私を見つめた。心底驚いているようだった。母は何事もなかったように、奥様に話しかけて場をつないだ。
奥様は、顔にありありと戸惑いの色を浮かべていたが、最後まで何も言わなかった。だまって勉強しながら食べている私の方を時々見つめながら、母と話をして、家を辞していった。
数十年たった今も、彼女の目をまんまるにした驚きの表情を、昨日のことのように思い出し、自分の不作法を後悔することがある。あの日くらい、夕食の場で教書を見なくても、母は怒らなかったかもしれないと思う。
でも、あの場だけ笑顔を取り繕えるほど、私は大人ではなかった。他人にいっときでも笑顔を作れるような精神的余裕も持ち合わせていなかったし、母の前でそれをすると、奥様が帰ったあとに母が怒るかもしれない、という恐怖が勝った。
ぬいぐるみのそうはちは、そう先生の奥様の優しい思い出をその身にまとって、いつの間にか、実家の押し入れのどこかで眠ってしまった。