4年前。
2019年12月31日、フランス、Savneyのホテルにいて、私は子供を寝かしつけた後、ひとりで大晦日にこれを書いていた。
今年はひたすら、家族について考えた1年だった。
年明けにVogueの雑誌の巻末にある年占いを美容院で読んだ時、乙女座は「家族」について向き合う1年になるでしょう、とあった。
それを読んだ時は、いや、そんな内向的な年にはなるまい、もっと広い世界で色々な活動をするに違いないと思った。
でも、見事に、家族について考えた年だった。
自分が生まれ育った家族について。
子供が生まれても会い来ず、数ヶ月に一度、傷つけあってばかりいる実家との関係のこと。
3月に子供が生まれてきてくれて、自分がこれからどのような家族を作りたいか。
どうしたら実家の二の舞にならずに済むかと、世の毒親育ちが思うようなことを考えた。
姉とどのような関係を築いて行ったら良いか。
私の唯一の温かい家族なのに、実家と私の間で板挟みになる姉と、結局距離を置いてしまった。
秋に祖母を見送った。
クリスマスにフランスに来た。思いがけず8日間も滞在した彼の実家で、彼の家族について考えた。
自分の家族との違い、文化の違いを感じる中で、常に「子供はどこで育つのが最も幸せなのか」という視点があった。
目にする光景も一変した。
通勤電車でパソコンを膝に乗せて仕事をし、六本木の高いランチを食べ、高いヒールを履いて背伸びをして仕事をし、
夜は銀座でコース料理を食べる。頭の中はキャリアと、仕事のやることリストと、勉強するべきアイテムと将来計画。
そんな時間を過ごしていたのに、出産と、その後に来る体調不良や体の変化。ゆるゆるとしか回復しない中、埼玉の郊外に来て、行く場所はすべて徒歩圏内の公園とイトーヨーカドーと、スポーツジム。
ひたすら子どもと向き合って、掃除・洗濯・離乳食の段取りと、子供の昼寝をどう組み合わせるか考える。
時間ができれば育児書を読み、子供の服をメルカリで買う日々になった。
秋から夫が育休を取ったが、やることに追われて、1ヶ月後にはフランスに来た。
ハードなことがたくさんあった。振り返って「記憶がない」というやつだ。
大変だからというだけではなく、細々とした気を使う出来事がたくさんあるので、埋もれてしまうのだ。
でも、心の中で言葉にして「幸せだ」と思う瞬間がとびきり多かった年だった。
本当に幸せな1年だった。
日本とフランス、他の国も選べるなら含めて、どこで育つのが子供が一番幸せになりそうか。
長女が生まれて以来、ずっと考えているが、「日本」と思えたことがまだない。
フランスに来てクリスマスを過ごしても、やはりフランスの方がいいだろうと思う。
なにより、ここには温かい家族がいる。
人生を楽しもうとする姿勢がある。
その時私はどうするのか。異国に来て、子供は現地にどんどん馴染む一方、ひとり言葉もろくに話せず、惨めな思いをしないか。
そんな思いを抱えた母親を見て、子供はどう思うのか。
そうならないために今私は何をしなければいけないか。。
そんなことをつらつらと考えて、「日本という国を出て、国際的に認められて強く生きる人」になるしかない、と思った。
できるかわからないけど、いつもこういう、自分に負荷がかかる道を選ぶ。
惨めにならないためには、単にフランス語を学べばいいだけではない。
異国でも、自分がきちんと胸を張れる職と収入を持ち、願わくば良い仕事をしたい。
言葉を話せるようになるより、自分が誇れる状態でいることが何より大切だと思う。
日本を出てそれをするにはどうすればいいか。。
性犯罪被害にあった伊藤詩織さんが起こした民訴の判決が、旅行中に出た。
それを契機に、彼女のジャーナリストとしての活躍と合わせて、国際的に生きるひとつのロールモデルを見たような気がした。
と同時に、権力や国・制度といった大きなものに依りかからず、真っ当な方法で、自力で物事を成し遂げていくことが、いかに困難なことか、も。
先日の同窓会で感じた、官僚の友人らの権力への依存度と、心の中で対比させていた。
昔は権力を持つことが善だと思っていた。年をとって、価値観もひっくり返るのか。
今年はまた、自分の飯のタネである、司法への嫌悪感が増した年だった。
仕事をしていないからか、法律というものを離れたところから見ていた。
このような司法サービスのあり方は、これから「時代に見放される」と思った。
単純に、価値に見合わない。提供する価値と、それを得るための労力や費用が単純に見合わない。
こんなサービスは利用者として使いたくない。これから淘汰されるだろう。
カルロス・ゴーンが12月31日の今日、保釈条件を破り、日本を密出国してレバノンへ逃れた。
ざまあみろ、思ってしまう自分がいる。日本の司法など国際社会で無力なものだ。
そもそも司法の価値とはなんなのか。私はこれからも司法に生きるのか。
長年の問いをまた自分に投げかけていた。
強くなるのに終わりはないな、と思う。そして忍耐強さも少し今年は学んだ。
こんな年越しを迎えると思わなかった。
2019年、12月31日、フランス時間の夜11時50分。
その日はSavnayで、夕方に夫の友人の家で年越しパーティーに、子供づれで少し顔を出していました。
9ヶ月の赤ちゃんを連れて、夜の8時に年越しパーティーをしているなど、日本では考えられないことだろうと思いました。赤ちゃんが、暗い部屋に大音量で流されるラブソングを聴きながら、テレビ台につかまり立ちをして、目の前のスクリーンに映し出される男女のセクシーダンス(ミュージックビデオ)を見ているのですから。
しきりに咳をしていたホストの家の子供(1歳)が、9ヶ月の我が子の前で派手に離乳食を吐きました。
夜の9時ごろホテルへ送ってもらい、子供をお風呂に入れて、寝かしつけて、持たせてもらったパーティーの食べ物に口をつけるも、重くて少ししか食べられなくて。
パンにパテを塗ったものは、日本で言えばおにぎりに具、という感じなのだろうかと思う。
頼みにしてた白ワインが少ししか残っていないことに気づく。
大晦日のご馳走として、ホテル近くのスーパーで昨日買っていた、謎のタイの袋ラーメンを茹でることにして。
夜11時、変圧器付きの携帯用コンロをこの旅で初めて使い、お湯を沸かし始める。しかし子供が寝ている暗い部屋で、手元を狂わせ、お湯を床にぶちまける。ホテルの床をバスタオルで掃除。
夜11時10分、新たにお湯を沸かし、無事にラーメンを作る。
夜11時20分、Youtubeの Countdown 2020 Parisのライブ画像を見ながらラーメンを食べる。超チープな小さい謎の味のタイラーメンだが、正直、色々な料理より美味しく感じてしまうという、哀しい日本人。
夜11時40分、白ワインのわずかな残りを飲み干すして、2020年になった@フランス。2020年、日本はオリンピックイヤーのはずでした。