久しい喜びとその代償

普通に分娩したかったけど、出産は、緊急帝王切開になった。術後は、大変だった。大変すぎて入院中のアンケートに、ぼろぼろな自分をとりつくろわずに「絶え間ない不安や恐怖がおそってくる」という項目に「はい」と答えたわたしは、メンタルサポート外来の予約を取らされたくらいだ。でも退院する日くらいから、子供がうまれた実感がやっとわいてきて、じわじわと幸福感につつまれていった。

その幸せは、地味だけどあまりにつよかったので、ついにわたしは「生まれてきてよかった」と認めざるを得なかった。親の代から「人生なんて大変。生まれてきたのは失敗だ」がモットーの家庭の子だったのに、「生まれてきてよかった」と口に出して認めるなんて敗北宣言のように勇気がいったけど、でも、そのくらい幸せだった。

それから1年の産休期間で、私はすっかりかわった。子供ができるまでキャリアのことしか考えなかったのに、子供のことしか考えなくなった。いわゆる女性脳から母性脳への変化したのだろう。子供と平和な時間を過ごす何気ない午後のひとときが、とにかく幸せだった。産休期間の後半から、夫も育休をとって家族3人で過ごすようになると、幸福感は、もっと高まっていった。

住んでいた町は「久喜」というところで、人生の久しい喜びを感じていた私は「その通りだ」とその町が大好きになった。

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産休が終わり、仕事に復帰しても、私の母性脳は変わらなかった。それは仕事にをすることに、以前は感じなかった苦労とストレスをもたらした。

育休中、赤ちゃんと、笑顔と、手遊び歌、甘いミルクのにおいと絵本の世界にふわふわと生きていたわたしは、突然、言葉尻をとられミスが致命的に追及されるビジネスロイヤーとしての立場に引き戻された。

ブランクがあって知識もあやふや、職場の環境の変化にもついていけない浦島太郎状態の私が、意見を求められて「〇〇だと思います」と回答すると、「『思います』ってなに?それは個人として言ってるの、それは法務としての最終的な見解なの?頼りないよ」と返される。

その反応は、当たり前だった。相手にははっきり言ってくれて感謝しかない。弁護士としての心構えはいくつもあるが、まず「思います」という主観的な表現は使うべきではないのだ。せめて「と考えます」という。弁護士としての発言は重く受け止められることもあるし、判断の間違いが大事に至ることもある。だから弁護士としてまずはDefensive(防御的)であるべきだし、発言には細心の注意を払う。

わたしは本来、適当な人間で、楽しいクリエイティブなことが大好きで、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」と気軽に物事に取り組む性格だった。そういうわたしの性格では弁護士は向いていないと最初から思っていたけど、でもとにかく、昔のわたしは、そういうロイヤーとしての心構えを鎧のように着こんでいて、そういう武装をすることがキャリアウーマンだと思っていた。

でも産休中に、鎧もキャリアウーマンへの信奉もすっかり消えてしまったわたしは、それからの仕事にとにかくストレスを感じるようになってしまった。

何のために働いているのだろう。昔はキャリアが人生のすべてだったけど、今は家庭のほうが何倍も大切。むしろ働かなくていいなら働きたくない。それでも働かなければいけない理由は生活費、それだけだった。

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