合格の功労者
私の中学受験生活は、小学校4年生の後半に始まり、6年生の冬、志望校に合格して終わった。
いわゆる御三家と呼ばれる私立女子高の一つで、母は満足そうだった。合格が判明した夜、母は、
「これはお前が成し遂げたことではないから、誤解するなよ。これはすべて親がやったものだ。親の成果だからな」
と私に釘を差した。
それはある意味、正しかった。小学4年生で、基本的に遊ぶことしか考えていなかった子どもを、蹴る殴るなどの暴力で押さえつけて、長時間の勉強に向かわせたのは母だった。
子供の成績が悪くなった時、どうすれば挽回できるかを考え、毎日の勉強のカリキュラムを決めたのも母だった。その勉強を確実にこなすために、家事や自分の睡眠時間も削って子どもを監視し、子供のための塾を探し、教材を自分で作り、志望校を選び、情報を集めた。
二人三脚、という言葉があるが、私の場合、完全に母が私をひきずって走っていた。私は叩かれ、足をもつらせながら、引きずられていっただけだった。
母は、「この合格で子どもを天狗にさせまい、気を引き締めて『次の戦い』に挑まなければ」と思って釘をさしたそうである。
人生への夢
一方その子供の私はというと、学校の友だちと遊ばなくなっていたので、いじめられるようになっていた。地元の中学に進むための友人関係や居場所がなかったので、地元の中学に行かなくて済んだことは嬉しかった。
ただ、母が選んだその私立中学がどんな学校なのかもほとんど知らなかったし、長い受験期間に、自分の自由や意思を持つことが許されなかったので、終わったときには人生に対して無気力になってしまった。
もう当分、母から勉強を名目に暴力や暴言を振るわれなくて済むことにほっとしたが、もうこの人生には何もやりたいことがない、と、合格通知を眺めながらぼんやり思った。
でも、私の人生はまだ始まったばかりだった。