週末テスト
私が通っていた中学受験塾は、毎週土曜日に「週末テスト」というものがあった。その校舎で独自に作成した問題を皆で解き、その成績順位と点数が、翌週の月曜日に一覧で張り出されるのである。
そして月に1度、その週末テストの結果をもとにクラス替えがあり、各週末テストの合計成績が良い順に、「1組」「2組」「3組」…とクラスが指定され、クラス内の座席も指定される。成績が良い生徒は、1組の1番前の真ん中の席に座る、という感じだ。
母の涙ぐましい努力の成果で(くわしくはこちら)、私はたいてい「1組」の後ろの方の席に座っていた。その成績の維持は、私の喫緊の問題だった。
母は、毎日、なにかしらの叩く、蹴る、ひっかくなどの暴力を用いて私に受験勉強をさせようと必死だったので、成績がさがったらただではすまない。壁に張り出されるのでごまかすこともできない。悪い成績が張り出された月曜日の夜は、無傷で眠ることを許されたことがなかった。
手のひらカンニング
当時の私は、週末テストでの成績の維持に、文字通り命がかかっていた。だから成績を維持するためには、何でもやった。
私はある時、手のひらと甲に、覚えるべき内容を細かい字で書いて、週末テストに行こうとした。それは「カンニング」の一形態だったが、その当時は私がそれがカンニングだと言うことにも本当に思いが至らないほど、成績を維持することに必死だった。
テスト中も、他の生徒の解答を見られるなら盗み見た。これは堂々としたカンニングで、さすがに罪悪感を覚えたが、背に腹は代えられない。こちらは生死がかかっているんだ、そう思っていた。
カンニングする対象の生徒も、たいてい決めていた。私より前の席に座っている(したがって、成績が良い)かわいい女の子で、長い天然パーマ風の髪を、ポニーテールの2つ結びにしていた。彼女は、私にカンニングされていることに気づいても黙っていてくれる優しさがあったからだ。
小学生ながらに、私は、自分とその女の子の人生に、歴然とした違いがあるのを感じ、それを「育ちの良さ」というのだろうと思った。
成績が良くても、それが自分の実力なのか、カンニングしたからなのかわからない。自分は汚れていると感じ、「このクラスにいるべきではない」といつも思っていた。
あちょーのライター
まあ、でも、いつか成績が落ちる日が来るものである。
ある12月の月曜日、私はついに「1組」から「2組」へと転落した。
月曜日に登塾してその結果を知った時、私は今日塾の授業が終わっても、家に帰らないことを決意した。明日のことまでは考えられなかったが、母の反応を考えた時、とにかく今日、家には帰れないと思った。
そうと決めれば、準備をしなくてはならない。その日の塾の授業中、私は持参しているお金をこっそり数えた。
2000円、ある。
これは当時の全財産であり(お年玉は預金させられ、親が管理しているのでアクセスできない)、小学生にとっては大金である。大船に乗ったような気分になった。
授業の合間の休み時間に、友達に、
「今日、塾が終わったら〇〇公園に行こうよ。そこで夜を過ごそう」
と提案する。一番仲が良くて、私の成績の悪化に同情してくれた友達だ。彼女も、自分の成績が同じく落ちていて「やばい」といっていたので、興味をもってくれた。それでも、
「公園にいってどうするの」
とやや渋っている友達に、
「コンビニでおでんを買ってあげるよ」
と釣る。こちらには2000円があるのだ。なんとか、うんといってくれた。
次に、授業の合間の休み時間に、社会科の先生(阿東先生という名前だったので、わたしたち生徒は愛をこめて「あちょー」と読んでいた)の机の上から、ライターをこっそりとる。
先生とおしゃべりをしていたら、机の上にあったので、とっさに取って自分のポケットに入れたのだ。これも立派な窃盗罪だが、当時は罪悪感も感じなかった。
なんとなく、火があれば安心だと思った。火は人類の最大の発明である。お金もない、家もない12歳の子供が、寒い冬の夜に外で過ごすなら、火は必要だろうと思った。
愛煙家だったのあちょーのライターは、Zippoの真鍮製の立派なもので、私の手にずしりと重く、決死の家出を実行する勇気をくれた。
(下に続く)