20数年前の、管理人Minikoの中学受験時代を振り返るシリーズ、前エピソードはこちら。
私の中学受験を主導していたのは母親だった。私の志望校を決め、勉強を細かく管理し、生活も管理していた。
眠れない生活
生活にはいろいろなルールがあった。
例えば、小学校が終わったらすぐにかえってくること。学校が終わる時刻になると、学校が見渡せるベランダに仁王立ちになって、待っているとか。(くわしくはこちら)。
食事のときは教科書を持ってきて、勉強しながら食べること。
母親がその日に課した勉強内容が終わるまで眠らないこと。
そしてもちろん、指示される勉強内容が、終わる量ではないのである。例えば、「今日は社会は教科書の○ページから○ページを覚える」「その後テストをする」「算数は問題プリントの○枚を解き、持ってくるように」「国語は…」課題の量が半端ではない。
「教科書の○ページから○ページまでを覚える」という課題の場合、私が覚えたと言ったら、母親がその場でテストをする(くわしくはこちら)。当然、覚えていないところもあり、答えられない質問もある。その場合、ひとしきり暴力を振るわれたあと、
「覚え直し!」
ということになる。課題が終わらない、ということだ。この「やりなおし!」「覚え直し!」は毎日繰り返され、そのたびに「まだ終わらないのか」と絶望していた。
母親がその日「もう寝て良し」というまで、とにかく眠れない。勝手に寝る支度をして寝ていても、母親がドアをバン!と叩き、
「何寝てんだよ!」
と、毛布を蹴飛ばされて、起こされるのである。
夜12時、1時まで勉強していることがざらであった。でも、そのように長時間勉強していて、効率が良い訳はない。眠すぎて頭は働かないし、母親がだした「課題」は終わる量ではないので諦めている。
「勉強しているフリ」
をして時間が経過するのを待ち、夜1時を過ぎて母親が根負けして
「もう寝てよし」
というのをひたすら待っていた。
朝2時の夢
でも、小学生が夜1時2時まで毎日起きてられるものじゃない。
ある日、どうしても眠くなった私は夜の1時ごろ、母が見ていないスキを見計らって、煌々と明かりをつけた自分の部屋のベッドに、一瞬だけ横になって、一瞬だけ目をつぶったつもりだった。寝るつもりはなかった、ただ一分くらい横になって起きようと思っていた。
次の瞬間、はっと目が覚めて飛び起きたら、夜2時をすぎていた。
私は、そそくさと起き上がって、まるでずっと勉強していましたかのように何事もない顔をして、机に向かって勉強するふりをした。母はすでに寝室でこもっているようだったが、少ししたら、私の様子を見に、パジャマでやってきた。
その時母は機嫌が良かったのだろう。寝ている私を見ていたはずなのに、暴力を振るわず、
「そうやって、眠い時はぐっと短い間寝て、ぱっと起きるんだ。そして勉強続けるんだ」
と言った。そして自分の寝室に、戻って眠り始めた。「もう寝てよし」はなかった。私は、母の寝室の前まで忍び足でいき、閉じられたふすまの隙間から母の寝息が聞こえてくるのを確認して、自分の部屋へもどった。
ただ、怒られなかった、寝ていたのに。
そのときの私の安堵の気持ちは、悲しいことに、とても甘い感情で、私はその後机につっぷしたまま、朝まで眠った。