中学受験の日々が辛くて、死にたいと日記に綴っていた。ここからは教育虐待のようなちょっと極端な受験準備の話なのだけど、どのような中学受験生活を送ったのか振り返ってみたい。
自由がまったくない生活
何がつらかったか。まず、生活に自由がまったくないこと。
仕事でも「裁量のある仕事か」が、満足度を決める要素になる。小学生だってそれは同じである。
小学校4年からなんとなく中学受験の準備を始めた。もちろん、親の指示である。その頃、私は小学校の吹奏楽部に入ってクラリネット吹いていたが、部活をやめるように言われた。クラリネットをこっそり部室から持ち出してまで練習していたが、逆らうことなんてできない。公文、エレクトーンの習い事も全てやめることになった。そして、学校が終わったら直ちに家に帰ってくるように厳命された。つまり、放課後に友達と遊ぶ時間が1分もない。
小学生に、学校の友達と1分も遊んではならない、なんて通用するだろうか。そんな調子だと、今ならいじめの対象になるだろうか。当時もなっていたのだけど。
家に帰れば直ちに勉強が始まるので、もちろんこちらも、できることなら帰宅を遅らせたい。しかし悪いことに当時住んでいた団地の7階の自宅から、小学校が見えるのである。小学校の校門から、自宅まで1本道で約2キロ位しかなくて、通学の様子が親から丸見えなのである。
学校が終わり、家の方に歩き始めて、ふと遠くを見ると、なんとうちの母親が、団地の7階のベランダに仁王立ちをして、腕組みをして、こちらの方をみているのである。こんなかんじ。
彼女の視力は驚異的だったから、きっと私の姿も見ていただろう。
そうすると、始まるのはゲームである。
帰宅姿を、ベランダの母親に見られないように、通学路を変える。校門は丸見えだから、学校の裏門から出よう。通学路と違う道をあるく。でも悪いことに、千葉の田舎に住んでいたので、学校の周りは畑が広がっていて、本当に見通しが良いのである。
次は、ベランダにいる母親の死角になるところを探す。例えば大きな立て看板の影。ぽつりぽつりとある建物のうしろ。そういうスポットからスポットへ、飛び移るごとく素早く走って移動する。立て看板の後ろでじっとかくれて時間をつぶす。
一人で何と戦っているか。追ってくる自分の影と戦うように、毎日、そんな感じで帰宅していた。もちろん学校の中に残れるならぎりぎり残るが、いずれは追い出される。
こういう風にしてなるべく帰宅を遅らせて、家に帰っても、下校時刻から大幅に過ぎているのだから、結局勉強始める前に、怒鳴られ、殴られるか蹴られるか、ひっかかれるか、とにかく一悶着あるのである。
(続く)